「なあ、それ美味いの?」
意味もなく垂れ流しているテレビドラマを見ながら、ぼうっとをお酒を飲むPM11:00。彼がサークルの先輩から貰ってきたという変わった味のポテトチップスを酒の肴にしていた私に、彼はそう訊く。
「うーん、まあそれなりに?」
ずっと食わず嫌いをしていたそれを、彼は怪訝そうな表情で摘んで一口、ウェットティッシュでその指先を拭く。きっとお気には召さなかったのだろう、それ以降口にすることはなかった。食べずに放置されていたのでそんなにも不味いのかと警戒したのだが、食べてみれば思いの外美味しいものである。
彼はポテトチップスの味をかき消すように飲みかけの缶チューハイを煽って、そのまま携帯に手を伸ばす。最近ハマっているゲームがあるとかで、流れるようにそのゲームのアイコンをタップする。私は再び目の前のポテトチップスに手を伸ばして、視線はまたテレビへと吸い込まれていく。
お互いにバイトのなかった今日、授業終わりに二人でスーパーに寄って、適当なつまみと大量の酒を買い込んで私のワンルームへと向かった。私のワンルーム、とは言っても、付き合い始めてから半分同棲のような形になっているので、最早私の部屋と呼んでいいのかも定かではない。それくらいには、部屋に散見される彼の私物は多い。このポテトチップスだってそのひとつだ。
「ほお、やるな」
「おっさんみてーな反応じゃん」
「うるさい。でもこういうの、やっぱいーなとは思うよね。人生で一回ぐらいは!って、女の子なら誰でも思うもんでしょ」
テレビの中では、イケメンが冴えないキャラの主人公に跪いて告白をするという、何ともベタな展開が繰り広げられている。確かに私だってこんな夢のような出来事が自分に起こるのなら、それは願ってもないことだ。でも、だからと言って目の前の彼にそれを求めるかというと、話はまた別なのである。私は今の着飾らない関係に、十分に満足しているのだから。
「ふーん、そういうもん?」
「そういうもん」
「アンタも、そういうの、あんの」
話半分に彼の言葉に相槌を打っていたけれど、ふと彼のそんな言葉に顔を上げる。見れば、彼は先ほどまでやっていたゲームを中断し、じっと私の顔を見つめていた。その顔がほんのり赤らんでいるのは、もう飲み始めてからかなりの時間が経過しているからなのか、否か。
どうにも答えないと離さないといわんばかりのその視線に小さくため息をついて、どうしたものかと思案する。馬鹿正直に真っ直ぐな彼の目は、彼の良いところでもあり、時にこうした面倒ごとを引き起こす。
「……まあ、ない訳じゃないけど」
「けど?」
続きを待つ彼の声に目を泳がせる私を、彼は逃そうとはしない。諦めて降参の意を示せば、その突き刺すような視線が少しだけ和らいで、心なしか彼も安心したような雰囲気を纏う。本当にわかりやすいやつだな、と少し面白くなる。
「理想は所詮理想、無理してやることでもないでしょ。私は今が楽しいから良いんだよ、これで」
私も、随分とらしくないことを言ったな、と自分でも苦笑して、酔うためだけに置かれた度数の高い缶チューハイの僅かな残りを一気に飲み干す。こんなことができるのは、きっと後にも先にも彼の前だけだろう。それが、私には心地良いのだ。
歳はひとつだけ私の方が上だけれど、家が近いことをきっかけに小学生の頃はよく一緒に遊んだ彼とは、中学高校と別になって、大学生になってばったり再会した。勉強があまり得意ではないと聞いていたので、てっきり彼も私と同じ地元の公立中学に進学するものとばかり思っていたのだけれど、母によれば好きだったテニスを続けるために、立海大付属の受験を選んだらしい。それきりの仲だと思っていたのに、大学生になってこうして再会したのは何かの縁だと、よく飲みに出かけたりしているうちに、いつの間にかこうして付き合うことになっていた。
「こんなにだらだら飲んでたって楽しくやれる相手、そういないもんだよ」
「まあ、その色気もねえ服装とか、ちょっとくらいどうにかしてほしいけど」
「言わせておけばねえ。最初からこんなんでしょうがよ、私は」
「それに惚れたのはあんたのくせに」なんて、どの口が言うのだろう。こんなちょっとのことでコロコロと表情豊かに生きる彼が可愛いと思ってしまう私も私なのである、きっと。恋愛においては惚れた方が負け、なんてよく言ったりもするけれど、この場合は一体どちらが負けになるのやら。勝敗では押し測れない関係性になってようやく、正解の形なのではないかと思ったりもする。だから私は、理想の白馬の王子様よりも、今こうして側にいてくれる彼がいい。
「あ、あれやろうぜ」
「どれ?」
彼はそう言って、ペン立てにささっている油性ペンを取って、飲み切ったチューハイの缶に落書きをし始める。真剣な顔で描き始めるので何かと思いきや、そこに描かれているのは私の名前と彼の名前が刻まれた相合傘だった。小学生か、とツッコミそうになったけれど、それの正体は彼がテレビにその缶を翳したことでようやく判明した。ドラマの中と同じ画角で写ったそれに、私はたまらずに吹き出す。
「ねえ赤也、もうだいぶ酔ってんでしょ」
「なんでだよ、別に酔ってねえし!」
「酔ってる人間はみんなそう言うの。相合傘って……しかも缶の柄で私の名前見えないし……」
エンディングの流れ始めるドラマに合わせて、私も片付けを始める。そろそろ飲み会もお開きかな、と思うほど、人のことを言えないくらいには私も随分とアルコールが回っている。食べ終わったポテトチップスの袋を捨てるために立ち上がれば、心なしか頭が少しふらっとした。笑いの止まらない私に、彼は不服そうにしながらも、缶の中に残ったチューハイを一気に飲み干していた。
「あ〜〜、眠い。ねえ赤也、今日は床とベッドどっちがいい?」
「……なんで別々で寝る前提なわけ」
「いや今日は眠い。マジで眠い。そういう気分じゃない」
「はあ?だからストゼロ買うなって言ったじゃん!」
赤也の返事を待つ前にベッドに潜り込む私と、言われる前に机を寄せて布団を敷き始める赤也。いい加減にしろよ、とブツブツ文句を言いながらも、なんだかんだ私に合わせてくれるのだから、本当にこんな人とは滅多に出会えるものではないと思う。そうは思っていても、直接言葉にするのはどこか恥ずかしくて、照れ隠しも込めて深く布団を被る。それに気付かないまま、寝れないと文句を言う彼にはいつ種明かしをしようか。良くも悪くも正直な私の王子様の機嫌を過剰に損ねれば、後で痛い目を見るのはこちらだという事は今までの経験則で理解している。
布団を敷き終えて、再度確かめるように私の方を振り返った彼と目が合って。小さく笑い返してやれば、視界は一度で暗転する。明日の講義は昼からでよかった、なんて苦笑いをしながら、視界の端に掠める飲んだ後の残骸を酷く愛おしく思う。明日の朝、あの相合傘を見て、昨晩は随分酔ったのだと笑うのだろう。そんな、遠い夜の先を思い浮かべながら、そっとただ彼から与えられる幸福に身を任せた。